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時忘れじの集い

 3月9日、東京上野公園の一角にそっと置かれたような慰霊碑の前で、8回目の「時忘れじの集い」が開催され、私も参加し、平和への願いを誓って来ました。
 この集いは、67年前の東京大空襲でかけがえのないご家族を亡くされた海老名香葉子さんが、2005年平和への願いを込めて私財を投じ慰霊碑を建立させ、それ以来、その碑の前で毎年行われていたものでした。
 1945年3月9日、東京下町を襲ったB29の碑は、たった2時間のうちに貴い10万人の生命を奪ってしまったのでした。
 兵士ではなく、明らかに一般住民を狙ったこの大量殺戮は、広島・長崎の原爆と並ぶ、明らかな犯罪的な行為でした。
 体験者の高齢化が進み、戦争体験の風化が語られる様になってしまった今日、この蛮行を忘れずに語り継ぎ、二度とこの地上に戦争の参加を招かない願いを込めて、毎年海老名さんが心を込めて続けてこられた集いでございました。
 当日は、あいにくの冷たい雨が降りしきる中、それでも設えられたテントに入りきれない程多くの方々が慰霊にご参加され、共々に平和への願いを誓い合ったのでした。
 3月11日のあの大惨禍の後に開催された今年の「集い」。
 自然災害ではなく、明らかに人間が始めた戦争の愚かさを胸の中で反芻しながら、何があっても二度と戦争は起こしてはならない・・・。
 そんな思いを深く胸に刻んだ雨の上の公園でした。

奈良市試写会

 年が明けて初の試写会は1月13日、あの大惨禍から10ヶ月を経た斑鳩の里奈良市で行われました。
 奈良市での上映開催要請で、仲川奈良市長とお会いしたのは、昨年10月のことでした。
 若さいっぱいの仲川市長は、この映画が語るであろう“心やさしき支援の心”に有難いことに心から感銘して下さり、自らが上映実行委員会会長をお引き受けになって、実行委員会を発足させ、被災地と奈良市民の心をつなぐ上映運動を立ち上げて下さったのでした。
 昨年12月2日に発足した実行委員会では、市長をはじめとして趣旨にご賛同の市内各団体の方々がお集まりになり、この上映運動が語るであろう夢の実現について論議を重ねたのでした。
 そして、その論議の中で決定した上映日程は本年3月。
 あの大惨禍から一年、この上映を通してもう一度あの日の出来事を振り返り、忘れずに支え続ける心を語るべく、震災から一年を経た本年3月に5,000人の奈良市民の心をつなぐ運動として、実行委員会はそのスタートを切ったのでした。
 そして、成功への大きな足がかりとして設定されたのが、この日の試写会であったのでした。
 当日は、開会を待ちわびた市民が早くから会場に足を運び、試写会開会時には、700名の市民が会場を埋めたのでした。
 仲川奈良市長の力強い、そして被災地への心のこもったご挨拶が、会場の心を一つにし、上映終了後は満場の拍手が奈良市民の上映成功への決意の様にも聞こえていたのでした。
 あの大惨禍から10ヶ月、この映画を通した被災地支援の心は、更に勢いを増して国中に拡がろうとしているのです。

新年明けましておめでとうございます。

 昨年の大惨禍の傷跡がまだ記憶に新しく、新年のお祝いを申し上げるのもいささかはばかられるのですが、期待も込めてやはりこの言葉を-“明けましておめでとうございます”
 
 とにかく一言では語ることが出来ない昨年でございました。
 2月の映画完成。
 3月10日の東京試写会の大成功。
 そして3月11日・・・。
 夢を語りながら、3年間にわたって製作への努力を重ねてきた作品のいよいよ全国への発信直前のことでございました。
 しばらくは呆然と立ち止っていましたが、全国から寄せられたやさしい、そして暖い数々の声に支えられながら、走り抜けて来た1年でございました。
 気が付いたらその足跡は全国44都道府県に拡がり、上映箇所も500箇所を超えるところまで育っていました。
 こんな一つ一つの上映を、被災地を支えるやさしいお心で実現して下さった全国の数多くの方々に、改めて心からの御礼を申し上げます。
 あの大惨禍は貴い数多くの犠牲を強いることとなりましたが、それと引き換えにするようにして、国中に人を支えるやさしい心がしっかりと根を張ってあることも私たちに知らせてくれました。
 そんな人のやさしさを頼りに私たちシネマとうほくは、今年も新たな歩みを起こしてゆきたいと決意しています。
 輝く人の世の幸せを願って・・・。

もう一つの嬉しい受賞

 11月3日、風薫る文化の日に、撮影地となった富谷町からシネマとうほくへの嬉しい賞を頂戴致しました。
 映画の撮影を通して<富谷町しんまち地区>を活性化した、として町から受賞することとなった“富谷町功労者表彰”がこの賞です。
 当日は、各界の受賞者と町の関係者150名程が中央公民館に集い、町長さんから嬉しい賞状を授与されたのでした。

 限られた予算で製作を強いられた今回の撮影にあたって、最大の関門は、戦争の街並みと焼け跡、そして戦後の闇市のシーンでした。
 このシーンを全てセットで組みますと、とても予算には収まらないのです。
 それでも、このシーンを撮れるロケ地がきっと宮城県の中にあることを信じ、私と監督は県内を巡っていました。
 そして、そんな折に偶然に「発見」したのが、富谷町の市街地にそっと横たわっていた醤油工場の跡地でした。
 監督は、狂喜乱舞・・・。
 ここを使えば、課題のシーンが全て撮れる・・・。
 そして更に、いしだあゆみさん扮するフサノばあさんの自宅にぴったりの民家もその隣に見つかり、この映画の撮影は無事クランクインを迎えたのでした。
 それ以降、心やさしい富谷の方々は、町長さんを先頭に私たちを支え励まし続け、作品は無事クランクアップを迎えることとなったのでした。
 こんな富谷町から、私たちシネマとうほくが授かったこの賞は、私たちと富谷町民の心の交流の足跡として、会社の歴史に刻みつけられたのでした。
 富谷町の皆さん、お世話になりました。
 そして、本当に有難うございました。

海の向こうから吉報が届きました

 秋も深まった仙台に、海の向こうから素晴らしい便りが届きました。
 中国最大の映画祭と云われる「第20回金鶏百花映画祭」国際映画部門で主役の吉井一肇君が何と主演男優賞を受賞した知らせでした。
 この受賞は、2008年の「おくりびと」本木雅弘さん以来、日本人では二人目の受賞となりました。
 現地へ参加していた製作委員会のメンバーからの連絡によりますと、とにかく巨大な映画祭とのこと、オープニングセレモニーに設えられたステージの横幅は100メートル、そしてここに集まった人々何と40,000人、更にこの様子は中国全土にテレビ放送された、とのことでした。
 一肇君の笑顔がはじけた快挙でありました。
 吉井一肇君、素晴らしい少年なのです。
 役者としての天性とも云える感性と、人の心を揺り動かさずにはおかない透き通った歌声に魅せられてこの役に彼を起用したのは、クランクインを目前に控えた頃のことでした。
 役者魂を貫こうとする彼は、30日に及んだ石巻でのロケに、両親から離れ一人で挑み、そして見事にやり遂げたのでした。
 しかし、3月11日石巻を襲った大惨禍は、彼の胸を痛めることにもなりました。
 石巻で彼を支えてくれた多くの方々が被災し、悲惨な状況に置かれることに・・・。
 この事実は彼を幾重にも苦しめることになったのでした。
 しかし、彼は一人でも多くの方々にこの映画を観ていただくことが、被災地で精一杯生きようとする方々の支えになることを確信し、全国のキャンペーンに駆け回ったのでした。
 そして、この受賞。
 この栄冠は、彼の喜びであるだけでなく、被災地でその未来に向けてもう一度歩みを起こそうとする多くの被災者の方々の、復興への足がかりともなるものと思うのです。
 精一杯努力を重ねた一肇君に、神様はその最後に大きな贈り物を用意していてくれた様です。
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