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盛岡営業所の15年の歴史を閉じました

 

629日、盛岡の送別の会場には、盛岡営業所の閉所と、長年盛岡営業所長として岩手の上映運動の先頭に立って来た中山通子さんの勇退を惜しむ心やさしい人々が集いました。

中山さんは、私たちの会社の一つの象徴でもありました。

まるで男性の様な豪放さと、女性特有の細やかな気配りを見事に一つに合わせた、まさに稀有なキャラクターを持った女性でございました。

シネマとうほく発足からの主要なメンバーであり、年齢を感じさせないエネルギッシュな仕事で、岩手に数々の見事な足跡を拓いて来た人でした。

   シネマとうほく製作第一回作品「アテルイ」の製作
   運動。

   テレビ局、新聞社と手をつないだ全県上映運動の定
   着化。

   そして、一戸町を舞台に製作された「待合室」での
   県内観客
7万人の実績。

数え上げれば切りのない程、数多くの見事な足跡を県内の映画運動の歴史に刻んで来た人でありました。

しかしながら、年齢は一年一年確実にその数を増し、本人からの申し出もあり、残念ながらこの夜の勇退となったのでした。

当日は、これまで彼女を支えてくれた多くの方々が会場に集い、彼女のこれまでの素晴らしき仕事が交々に語られ、心やさしい送別の会となりました。

中山さん、本当にご苦労様でした。

あなたのこれまでの辿ってきた足跡を引き継ぎ、岩手の映画運動に更に確かな道を拓いてゆきます・・・。

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東京支社(シネマ・ポラン)開設しました

 

311日の大惨禍は、直接の被災地に止まらずに、東北各地に、そして東北の人々の暮らしにも、大きな影響を与えることとなりました。

私たちシネマとうほくもこの例外ではありませんでした。

あの日以来、私たちはその上映が実現できなくなってしまった東北から首都圏へ、そして全国へ、映画「エクレール・お菓子放浪記」を携えて東北支援の上映を願う旅に旅立ったのでした。

そして、あれから一年。

この上映の輪は、幸いにも大きく拡がり、その結果として、この足跡は日本映画に新たな配給上映の道も拓くことになったのでした。

映画界の多くの方々から、劇場公開のみによらない、そして地域の方々と手を携えたこの新たな上映運動の道を更に確かなものとして拓いて欲しい・・・。

こんな願いも語られる様になってきたのでした。

そして、そんな声に押される様にして私たちは、新たな決断を下すことになったのでした。

本年4月、東京に新たな拠点を構え、ここを起点に全国に向けて新しい配給上映の仕組み作りに挑戦することとなったのでした。

こんな私たちの夢の実現をご支援して下さったのが、㈱シオザワの塩澤社長様でした。

自らがお持ちのビルの一角に、破格の条件で事務所スペースをご提供して下さったのでした。

これも、東日本大震災被災地支援のお心でございました。

新たにスタートする東京支社の愛称は、シネマ・ポラン。

宮澤賢治の心を胸に、私たちの未来に向けた夢は新たな扉を開いた様です。



シネマ・ポラン(東京支社)

     〒104-0043 東京都中央区湊3-4-11 4030ビル

      TEL03-5540-9051

 

 

 

 

 

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