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4月28日

 4月26日の東京に引き続き、関西圏での<とどけ思い、つながれ心>を訴える試写会開催地に選んだのは、あえて神戸でした。
 神戸松方ホールは幸い思いを共有する市民でいっぱいに埋まり、この上映に共感する涙で包まれ、試写会は大成功のうちに幕を閉じたのでした。
 震災以降、やみくもに走り出した私たちでしたが、一歩一歩その歩みは被災地支援の心の輪としてその姿を現して来た様です。
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4月27日

 名古屋、岡山、広島回る

4月26日

 <とどけ思い、つながれ心>
 この映画を通した東北の被災地へのご支援を訴える試写会が、東京ニッショーホール(3月10日の完成披露試写会会場)で開催されました。
 3月11日の大惨禍を乗り越え、この作品の上映を通して、被災地を支える心の輪を全国に大きくつなごう・・・。
 こんな思いをアピールするべく、準備を進めていた試写会でした。
 当日は、思いを共有するスタッフ、キャストも多数集まっていただき、一同打ちそろっての思いの発信となったのでした。
 お忙しい日程をぬってこの試写会にご参加いただいた方々へのごあいさつに忙殺されながら、これ程多くの方々の支えで、私たちは歩んでいたことに気付かされ、胸あつくさせられた一日でした。

4月25日

 この日から又、旅の空。
 東京での会議を終え、夕方は日本青年会議所菓子部会でのご依頼に京都へ。

4月23日

 雨の大阪。
 関西配給担当のO氏の依頼で、合唱組織の総会での協力要請を行う。
 しっかりと被災地の思いを受け止めて下さった様である。

4月21日

 神戸、大阪と回る。
 一日の休みも取れない連日の出張に、いささかヘタり気味。
夜は宮城県民の会の事務局のアルバイトをしていた若者I君と奈良でおち合い、久し振りに心を許す時間を過ごす。
 東北大学を卒業後、一旦就職するも教師への道は絶ちがたく、教員採用試験を目指し退職した折、縁あって県民の会のアルバイトとして我が社で仕事をしていた青年。
私が彼の父親と同年生れのこともあり、妙に私になついていた若者でした。
古里の伊賀に戻っていたところを電話で呼び出し、久し振りの再会となったのでした。
 何せ酒に強く飲んべえのI君、ついつい私の記憶は遠のき、やっとの思いで宿にたどり着いたのでした。

4月21日

 山口から大阪

4月20日

 この日の足は予約がうまく取れず、福島空港から大阪へ向かう。
 震災以降はじめて足を踏み入れた福島県。
 空港も人の姿は少なく、福島にもたらされたあまりにも不幸な運命に、胸を痛める。
 岡山から広島に回る。

4月18日

 宮城県撮影地の各首長を訪問。
 富谷町長の上映再開に向けた積極的ご意見にホッとする思いにさせられた。

4月17日

 この日から3日間は、日本テレビ報道番組の取材で宮城で過ごす。
 テレビのカメラに追われる日々は、何とも気詰まりな思いである。

4月16日

 群馬県前橋市。
 群馬県配給担当は、ねばり強さでは全国でも定評の群馬共同映画H氏。
 近藤監督の前作「ふみ子の海」の大成功をベースに、早々に上映運動作りに着手し、震災前に東北に続いてトップで県組織を立ち上げ試写会の準備まで進めていたところの大惨禍。
 やむなく延期し、本日の試写会開催となったのでした。
 春というよりは、初夏を思わせる様な陽気を背に、試写会場に向かう。
 県組織の会長をお引き受けいただいたのは、群馬県社会福祉協議会会長のM氏。
 「ふみ子の海」の全県上映の折、その先頭にお立ちいただき、全県上映からの確実な反響に確信をお持ちいただき、今回の上映県組織の会長を心良くお引き受けいただいた方でした。
 まさに社会福祉を象徴するような暖かいお心の素晴らしき会長様なのです。
 お心のこもった震災見舞いのお言葉に胸を熱くする。
 そんな伏線があったからだったのでしょうか、試写会の舞台あいさつに立って思いを語っていた時、思わずこみ上げ、又、落涙。
 何とかご挨拶だけは終えたものの、大衆の面前での涙に我ながら驚かされる。
 震災で生命を奪われた多くの方々、突然の不幸に見舞われ先の見えない避難所生活を続ける方々。
 こんな数多くの方々の思いを背負っての全国回りの疲労もピークに達し始めたようである。

4月15日

 名古屋で中日新聞、その後、県保護司会連合会会長とお会いする。
 熱い視線で、私の願いを受け止めて下さる。
 夕方からは東京マジックアワーで、又、報道各社の取材を受ける。
 疲れた!
 終了を待って、マジックアワーA氏、シネマディストK氏と渋谷の居酒屋へ。

4月14日

 佐賀テレビ、福岡西日本新聞と打ち合わせを済ませ、夕方神戸新聞との打ち合わせ。
 我ながら、良く続くものである。
 夜は、関西担当O氏と一杯。
 しばしの心の憩いである。

4月13日

 長崎へ。
 終日、長崎映画センターM氏、テレビ長崎K氏、H氏と県組織発足に向けた挨拶回り。
 長崎県菓子工業組合I理事長の熱い思いに、心励まされる。

4月12日

 大阪保護司会連合会事務局長とご面会。
 上映の趣旨をとても暖かく受けとめて下さる。
 山口へ向かう。
 車窓から眺める風景は、まさに“春”。
 思わず妻にメール
   「春の西路をたどって山口までやって来ました。
    春爛漫の風情は、心に一時の安らぎを語ってくれている
    様です。
    今から福岡です。」

 福岡で九州共同映画I社長と一杯交わす。

4月11日

 空路大阪へ。
 関西配給委員会のO氏と打ち合わせ。

4月10日

 共同通信S記者、毎日新聞H記者とご一緒に石巻へ。
 両者からのご取材の依頼を受けてのご訪問でした。
 お二人とも熱い記者魂をお持ちの若い記者さん。
 この現実と、そこからの復興への願いを、全国の読者に正確に届けて欲しいものだ。

4月8日

 この日も終日マジックアワーにて報道各社の取材対応に追われる。

4月7日

 新幹線がダウンしているので、東京方面に向う足には苦労させられます。
 この日から、首都圏営業に赴任の高澤君と一緒に車で宇都宮へ。
 下野新聞と打合せの後、新幹線に乗り継いで東京を目指す。
 浦和で埼玉県更生保護女性連盟事務局長さんとお会いして、夕方宣伝担当のマジックアワーにて報道関係数社のご取材を連続してお受けする。
 疲れた・・・!

4月5日

 大阪空港から、山形空港を経由して、8日ぶりの仙台。
 今や貴重な仙台への交通の窓口となってしまった山形空港は、いつにないにぎわいをみせていました。
 その足で石巻へ。
 今回の帰仙の第一の目的、石巻市亀山市長とのご面会に臨んだのでした。

 石巻市はこの映画のメインロケ地。
 ロケ隊は、30日間にわたって石巻に宿泊し、石巻市民と交流し、支えられながらこの映画の製作を続けてきたのでした。
 石巻市民も、この映画製作を心から迎えて下さり、映画「エクレール・お菓子放浪記」を応援する会を結成して下さり、一貫した心優しいご支援の手で私たちを支えて下さったのでした。
 そして、その先頭に立って下さったのが、亀山市長さんでした。
 とてもお優しい、そして文化と街のにぎわいを愛する素晴らしい市長さんでした。
 そんなお人柄に惚れた監督の要請で、ラストシーンの歌合戦の大会会長役としてご出演、いっぱいの笑顔で、この映画に花を添えてくださっていました。
 久し振りにお会いした亀山市長は、不眠不休の連日の激務に、悲しいことに驚くほどおやつれになっていました。
 それでもこの作品を通して全国からのご支援の輪が大きく拡がって居ることに大変喜んで下さり、こんな言葉で私を励まして下さったのでした。

   有難いことに、今、全国からたくさんのご支援の物資が石巻にも
   寄せられてきている。
   これからきっと長く続く復興には、「物」も「お金」も必要だ
   が、被災地を支える心のひろがりも、きっと大切なものになる
   だろうし、そのことに係って、この映画はきっと大きな力を発
   揮してくれるだろう。
   ご苦労でも頑張ってください・・・と。

 市長のやさしい声に背を押されもう一度、我が身を奮い立たせて見ようと決意を胸に、市役所を後にしたのでした。

4月4日

 大阪へ。マスコミ試写会。震災前からご支援の手を差し伸べてくださっていた上野製薬U社長がご多忙のスケジュールを割いてご家族とご一緒に来てくださる。
 有難い。

4月3日

 一夜明けて望む山宿の窓の外には、見事な桜の木が枝いっぱいの花を誇らしげに咲かせていました。
 これだけの大惨禍がありながらも、季節は確実にその時を刻んでいたのでした。
 そうか、春だったのか・・・。
 胸にポッと灯ったような温かさを胸に、テレビ静岡を交えた上映の会議に・・・。

4月2日

 シネマディストで今後の進め方につき会議。
 前進したこともあれば、同じだけの問題も山積みになって居るのです・・・。
 あきらめずに、ねばり強く、ねばり強く・・・。
 静岡市油山温泉で開かれる西村滋先生を囲む毎年恒例の懇談会に向かう。
 連日の上映再興に向けた準備で走り回る私を励まそうと、今年の会には是非おいでなさい・・・とお招きいただいての参加でありました。
 静岡市郊外の山あいにひっそりとたたずむ山宿には心やさしき方々が集まっていました。

 歌あり、踊りあり、見事な寸劇もあり・・・まさに西村先生のお人柄そのもののやさしさに包まれて会は進行し、私にも舞台からの挨拶が求められました。
 震災以降、心を休める間もなく、走り回ってきた緊張を皆さまの優しい視線が解きほぐしてくれたのかも知れませんでした。
 恥ずかしきことに、又落涙・・・。
 山宿の一夜は、すっかり固くなってしまっていた私の体も心もやさしくいやしてくれたようでした。

4月1日

 神戸で関係団体を回る。
 神戸風月堂のS会長様とご面会。
 映画の企画を立ち上げた頃、シネマディストのK氏と一緒にご面会の折に、
 神戸空襲、阪神大震災と二つの惨禍を越えながらもお菓子を作り続けてこられた思いを、心にしみる言葉で語って下さり、私たちを励まして下さったとてもお優しい方でした。
 この日も私たちを包み込むような変らぬやさしさで、上映成功へのご協力を語って下さいました。

 体が重い・・・。
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