はじめに
時代の閉塞感が語られる様になってしまった現代社会に、≪支え合う人の心のやさしさ≫と≪お菓子の持っている不思議な力≫を心やさしく語るこの作品は、きっと時代の未来を拓く大きな力となると思ったからでございました。
この作品の舞台にぴったりの、まさに昭和の情景がいっぱいの宮城県に撮影地を設定、宮城県民はこの製作を大きな喜びで迎えてくれました。
県知事を先頭に、映画「エクレール・お菓子放浪記」製作と上映を支える宮城県民の会を結成し、約一年半にわたる大きな製作支援の県民運動でこの製作を支えて下さったのでした。
不足する製作経費の募金活動、若い学生たちのオープンセット制作への参加、そして、総計570名にのぼった県民エキストラの出演・・・、製作支援の県民運動は全県に広がり、本年2月、無事この作品はこの世に生を受けることとなったのでした。
そして3月10日、全国発信の第一歩として設定した、東京での完成披露試写会の会場は、700名の参加者で埋まり、上映終了後、会場を包んだ満場の拍手は、まさに宮城県民の夢の全国発信への号砲のようにも聞こえていたのでした。
しかしながら、そんな夢も翌日には暗転することとなります。
東北を中心に東日本一帯を襲った大惨禍は、宮城県に大きな被害をもたらしたのでした。
この作品のメインロケ地は、石巻市でした。
ロケ隊は30日間にわたって石巻に泊まり、市民と交流を深め合いながら製作を続けて来ました。
一瞬の津波は、そんな石巻を破壊し尽してしまったのでした。
映画に描かれた美しい情景は既になく、夢を語りながらこの製作に参加した多くの市民も被災されました。
4月23日から予定していた宮城県での全国先行上映は、到底実現できる状況ではなくなってしまいました。
夢を絶たれた私たちは、しばらくは呆然として立ち止まっていました。
そんな私たちのもとに、全国から大きな励ましの声が届けられてきたのでした。
「 この映画の心は、≪支え合う人の心のやさしさ」だった。
今、この心は、日本国中で求められるようになった。
私たちの町でも上映して、この心を地域の方々に語りなが
ら、被災地支援の心の輪として拡げてゆきたい・・・。 」
こんな温かいお声が、まさに次から次へと私たちのもとに届いて来たのでした。
こんな声に支えられるようにして、私たちはもう一度立ち上がってみようと思ったのでした。
これから始めようとするブログは、被災地と全国とをつなごうとしたもう一つの「お菓子放浪記」なのかも知れません。
あれから一年
あの大惨禍から、一年の時が流れてゆきました。
この日を私は金沢で迎えました。
金沢ゾンタクラブの皆さんが中心となって、あの惨禍を忘れずにいつまでも語り続ける願いを込めて3月10、11日両日にわたっての上映を企画して下さり、更にこの記念の上映会に、映画にご出演の高橋惠子さんがお忙しい中足を運んで下さり、私も金沢訪れたのでした。
早いものであれから一年・・・。
苦難の道だった様にも思いますが、まるで一瞬のうちに過ぎ去った時間だったようにも思われるのです。
とにかく何かにつき動かされる様に脇目も振らずにこの映画を携えて全国を走り続けて来た一年でした。
幸いこの映画を通して被災地を支えようとする願いは全国に大きく拡がることとなり、今年の夏には上映ヶ所は600ヶ所、観客数は50万人に届こうとしています。
しかも、この600ヶ所のうち、映画館は何と18スクリーンのみ、それ以外のほとんどの上映は、この作品の上映を通して被災地を支えようと立ち上がった方々が自主的に実行委員会を結成し、復興の願いを込めて奔走され作り上げた上映会だったのでした。
支え合う人の心が見事な一つの輪となってつながった50万人の願いでもあったのでした。
あの震災で私たちは貴い多くの犠牲を強いられることとなりました。
それを引き換えにするようにして、国の隅々に「支え合う人の心のやさしさ」があることも知らされたのではなかったでしょうか。
上映の動きは更に大きく拡がろうとしています。
被災地の復興の願いを込めた私の行脚は、まだまだその先に続いてゆきそうです。
時忘れじの集い
この集いは、67年前の東京大空襲でかけがえのないご家族を亡くされた海老名香葉子さんが、2005年平和への願いを込めて私財を投じ慰霊碑を建立させ、それ以来、その碑の前で毎年行われていたものでした。
1945年3月9日、東京下町を襲ったB29の碑は、たった2時間のうちに貴い10万人の生命を奪ってしまったのでした。
兵士ではなく、明らかに一般住民を狙ったこの大量殺戮は、広島・長崎の原爆と並ぶ、明らかな犯罪的な行為でした。
体験者の高齢化が進み、戦争体験の風化が語られる様になってしまった今日、この蛮行を忘れずに語り継ぎ、二度とこの地上に戦争の参加を招かない願いを込めて、毎年海老名さんが心を込めて続けてこられた集いでございました。
当日は、あいにくの冷たい雨が降りしきる中、それでも設えられたテントに入りきれない程多くの方々が慰霊にご参加され、共々に平和への願いを誓い合ったのでした。
3月11日のあの大惨禍の後に開催された今年の「集い」。
自然災害ではなく、明らかに人間が始めた戦争の愚かさを胸の中で反芻しながら、何があっても二度と戦争は起こしてはならない・・・。
そんな思いを深く胸に刻んだ雨の上の公園でした。
奈良市試写会
奈良市での上映開催要請で、仲川奈良市長とお会いしたのは、昨年10月のことでした。
若さいっぱいの仲川市長は、この映画が語るであろう“心やさしき支援の心”に有難いことに心から感銘して下さり、自らが上映実行委員会会長をお引き受けになって、実行委員会を発足させ、被災地と奈良市民の心をつなぐ上映運動を立ち上げて下さったのでした。
昨年12月2日に発足した実行委員会では、市長をはじめとして趣旨にご賛同の市内各団体の方々がお集まりになり、この上映運動が語るであろう夢の実現について論議を重ねたのでした。
そして、その論議の中で決定した上映日程は本年3月。
あの大惨禍から一年、この上映を通してもう一度あの日の出来事を振り返り、忘れずに支え続ける心を語るべく、震災から一年を経た本年3月に5,000人の奈良市民の心をつなぐ運動として、実行委員会はそのスタートを切ったのでした。
そして、成功への大きな足がかりとして設定されたのが、この日の試写会であったのでした。
当日は、開会を待ちわびた市民が早くから会場に足を運び、試写会開会時には、700名の市民が会場を埋めたのでした。
仲川奈良市長の力強い、そして被災地への心のこもったご挨拶が、会場の心を一つにし、上映終了後は満場の拍手が奈良市民の上映成功への決意の様にも聞こえていたのでした。
あの大惨禍から10ヶ月、この映画を通した被災地支援の心は、更に勢いを増して国中に拡がろうとしているのです。
新年明けましておめでとうございます。
とにかく一言では語ることが出来ない昨年でございました。
2月の映画完成。
3月10日の東京試写会の大成功。
そして3月11日・・・。
夢を語りながら、3年間にわたって製作への努力を重ねてきた作品のいよいよ全国への発信直前のことでございました。
しばらくは呆然と立ち止っていましたが、全国から寄せられたやさしい、そして暖い数々の声に支えられながら、走り抜けて来た1年でございました。
気が付いたらその足跡は全国44都道府県に拡がり、上映箇所も500箇所を超えるところまで育っていました。
こんな一つ一つの上映を、被災地を支えるやさしいお心で実現して下さった全国の数多くの方々に、改めて心からの御礼を申し上げます。
あの大惨禍は貴い数多くの犠牲を強いることとなりましたが、それと引き換えにするようにして、国中に人を支えるやさしい心がしっかりと根を張ってあることも私たちに知らせてくれました。
そんな人のやさしさを頼りに私たちシネマとうほくは、今年も新たな歩みを起こしてゆきたいと決意しています。
輝く人の世の幸せを願って・・・。



